【元塾講バイトのサラリーマンがセンター現代文を解説してみた】2022年(令和4年) 本試験 第1問 【文章の内容・構造を理解する】

 もうすぐセンター試験が始まりますね。

 受験生にとってはいよいよ追い込みの時期です。

 私自身塾講師のアルバイトをしていた経験もあり、今でも受験シーズンが近づくといまだに何だかソワソワしてしまいます。笑

 そんなこともあり毎年センター試験の問題は目を通して解いてみているのですが、せっかくなので解説をしてみました。

 今回は現代文の解説をしていきます。

 現代文を勉強するときの悩みといえば

 「正解はしたけど、なんで正解したかはよくわからない」
 「文章はよくわからなかったけど、選択肢でそれっぽいの選んだらなんか正解した」
 「現代文の復習の仕方がわからない」

 が多く見受けられます。
 しまいには「現代文は運ゲー」とまでいう受験生が一定数います。

 確かに現代文は勉強がしにくく、得意な人でない限りずっと成績が安定しない厄介な科目です。

 なぜなら、塾や問題集・参考書では問題の解説はしてくれるが、文章そのものの解説はしてくれないからです。
 もっというと、「文章の読み方」までを教えてはくれないからです。

 現代文を解いて、採点した後に解説は読んでも、文章そのものの内容の理解までをする受験生はかなり少ないです。

 解説には正解の選択肢を選ぶ根拠、誤りの選択肢を除外する根拠が書いてあって、それを読むと「言われてみるとそうだ」と何となく理解した気になってしまいます。

 でも、「いや、そもそもその根拠に至るまでの過程を知りたい。でも本文のどこに書いてあるの?どう解釈すればいいの?」と思ったことはないでしょうか。探してもその解説までに行き着けずに放置してしまっている人が多いはず。

 そんな受験生の手助けになればと思い、この解説は「本文の内容を理解できること」をゴールにしています。

 本文の内容を理解することは当たり前のことですが、これができていない人は思った以上に多いです。

 でも一度「本文の内容を理解する力」を身につけることができれば、安定した得点力が身に付きます。

 地味で苦痛かもしれませんが、なんとか堪えて現代文を得点源科目にしましょう。

 受験生の皆さんがこのブログを見るかは疑問ですが、役に立てば嬉しいです。

  • 現役高校生時はとにかく遊び呆けていたため全落ち。
  • 宅浪からMARCHに合格(現役時の受験に対する態度から信用を得られず予備校には通わせてもらえませんでした。笑)
  • 大学4年間は塾講師のアルバイトをしていました。
  • 塾業界には就職しませんでした。(社員は授業というより教室の売上など運営側メインになるのがイヤだったため)
  • 今は企業に勤める普通のサラリーマンをしています。

はじめに

解説を進めていくにあたり、いくつか前提を説明します。早く解説を見たい!という方はスキップして頂いてかまいません。

  • 解説するのは現代文 第1問(評論)です。
  • いわゆる「テクニック」を伝授するスタイルではありません。
  • 文章の全体像を理解することをゴールとしています。

 現代文の読解ではテクニック(このワードが出たら◯or✖️など)を教えられることが多いですが、個人的にはテクニックは不要だと考えています。

 あくまでも試験で問われているのは「文章を読み解く力」なので、テクニックに頼ってしまうと本質とズレてしまいます。
テクニックがハマる問題もありますが、難解な問題に当たった時に太刀打ちができません。それでは実力はつきません。

 ですが根本の「文章を読み解く力」を一度身につけてしまえば、どんな問題にも適用することができます。

 そのため文章の全体像を理解することをベースに解説をしていきます。

 この解説は「結局、この文章って何を言いたかったの?」を自分で説明できるようになることをゴールにしています。

 文章を読み解く力をつける方法(作業に近いです)については別のタイミングで紹介しようと思います。

 ※著作権的にアウトになる可能性があるので問題文の掲載・引用はしていません。
  面倒かもしれませんがご自分でお持ちの問題文と照らし合わせながら読み進んでいただきますようお願いします。

解説に入る前に

 解説に入る前に、文章の内容を理解するために意識して欲しいことが3つありますので、下記にあげます。

  1. 問題文に”自分なりの”題名をつけてみる
  2. 問題文に”自分なりの”テーマをつけてみる
  3. どんなフレームワークが使われているのかを見つける

 上記①〜③は文章の解説が終わった後に説明をします。(先に説明してしまうとそれに引っ張られてしまうため)
フレームワークって何?と思うかもしれませんが、簡単にいうと、「形式」のことです。

 この解説に限らず今後は上記①〜③を意識し、考えながら問題文を読むようにしましょう。

解説

 文章の読解に入る前に早速注意しなければならないのが、【文章Ⅰ】【文章Ⅱ】に分かれているという点です。

 わざわざ2つに分けているということは出題者に何かしらの意図があるということです。
さらにいうと、出題者が論じたいことの結論を述べるためには、この2つの文章を使う必要があったということです。

 最初の問題文を読んだ段階で「なぜ2つの文章を使っているのか」「それぞれの文章をどういう役割で使っているのか」を気にして、考えなければなりません。

 考えるヒントとして、例えば次のようなパターンが多いです。

  • 文章Ⅰと文章Ⅱで「逆」の内容を述べている。結論として文章Ⅰか文章Ⅱのどちらかを肯定/否定している。
    ※どちらか一方の内容の肯定/否定に説得力を持たせるために、もう一方を当て馬として使っている
  • 文章Ⅰと文章Ⅱで「同じような」内容を述べている。結論として文章Ⅰと文章Ⅱに共有するテーマを深めている。
    ※2つの文章をお互いに補完させるために使っている
  • 文章Ⅰと文章Ⅱを肯定/否定することで別のテーマに派生させたり、別の新しい結論に導いている。
    ※2つの文章を両方当て馬として使っている

 今回の問題がどのパターンに当てはまるのか、それとも上記以外のパターンに当てはまるのかは読み進めていきながら確認していきます。

 では、【文章Ⅰ】【文章Ⅱ】の内容を理解していきましょう。

【文章Ⅰ】の内容を理解する

 文章Ⅰの内容をざっくりまとめると下記となります。

【文章Ⅰ】で書かれていること

自分の存在価値が分からない主人公の苦悩から考察する”食べる”という行為について

 宮沢賢治の作品「よだかの星」を参照しているため主人公が出てきていますが、それはメインではありません。

 問題文にある通り、問題を通しての主題は「”食べる”という行為について」です。
”食べる”という行為について論じるために、「よだかの星」の一部分を切り取っています。

 主人公は何気なく行っている”食べる”という行為について、ある捉え方が理由で苦悩を抱えることになりました。

 主人公は”食べる”ことをどのように捉えていたか。それは下記の通りです。

 食べること = 自分以外の生物の命を奪うこと + ”自分が”生きるためにすること

 この捉え方自体はそんなにぶっ飛んだものではないので、読者も理解できると思います。

 ただし前提として主人公は自分の存在価値が分からない状態です。
なぜなのかは、問題を解く上では重要ではありませんが理解はしておく必要はあるので一言でまとめると
「自分は誰からも必要とされていない(と感じている)」から。

 そのため”食べる”という行為を通して苦悩を抱えることになったのです。

 苦悩につながるまでのプロセスは下記の通りです。

  • 誰からも必要とされていない自分は存在価値が無いのではないか
  • それでも毎日”食べること”は続けている(その結果自分は生き続けている)
  • ”食べること”は他の生物の命を奪うことである。つまり他の生物の命によって”自分が”生きている

 主人公は「自分は生きることに対してネガティブなのに、生きることに対してポジティブであろう他の命を奪ってまでして生き続けている。」という状況に矛盾違和感を抱き、そのことが苦悩に繋がっているのです。

 以上を踏まえて、”食べる”ことについて【文章Ⅰ】で書かれていることをまとめると次のようになります。

【文章Ⅰ】のまとめ

食べること = 自分以外の生物の命を奪うこと + ”自分が”生きるためにすること

 内容のまとめとは少し逸れますが、問題を解いていく上で気をつけなければならないのが「主人公は一貫して生きることに対してネガティブである」という点です。

 「よだかの星」全体を通してどうなのかは問題文からは読み取れませんが、全体の一部を切り取っている問題文中では少なくともネガティブなままです。

 「苦悩から逃れるために自分の存在価値を高めよう!」とか「生まれ変わろう!」といった”生きること”についてのポジティブな思考は一切書かれていません。

 書かれていないことを自分で拡大解釈すると誤りになる設問が一部あるので要注意です。

 書かれていないことは全て誤りです。問題文中に書かれていることが全てです。


 「書かれてはいないけどそう思える」というのは妄想と同じ、くらいに思っていた方が設問のミスリードに惑わされなくなり、正答率が上がるので意識しましょう。

【文章Ⅱ】の内容を理解する

 文章Ⅱの内容をざっくりまとめると下記となります。

【文章Ⅱ】で書かれていること

人間が豚肉を口にしてから消化するまでを例にした説明から考察する”食べる”という行為について

 前半の説明は消化〜排泄までの行程の説明のためそこまで深く読み込む必要はありません。むしろこの部分をじっくり読んでしまうと時間ロスになるので流し読みでOKです。
(この部分を「流し読みで大丈夫だ」と判断できる感覚を持てるようになったら、現代文を解く力が付いてきた証拠です。)

 大事なところは、それ以降の食べることについて2つの見方を述べている部分のみです。

 2つの見方について、それぞれの内容は下記の通りとなります。

【1つ目】

  • ”食べる”ことは、他の生き物の死骸を体内に取り込み、消化工程を経て別のもの(排泄物)へ変えること。
  • 人間の体は食べ物を変化させていく過程の一つの通過点でしかない。
  • むしろ人間は地球上の生物の生命を存続させるために”食べさせられている”といえるのではないか?

【2つ目】

  • ”食べる”ことで、他の生き物にとっての食べ物が再生成される。
  • 食べ物は形は変わるが、ずっと食べ物のままである。
  • ある生き物が、別の生き物(死骸)を食べてくれるおかげで、また別の生き物も生きることができる。
  • ”食べる”ことは地球上の生き物の命を循環させるプロセスの一つである

 1つ目と2つ目をまとめると下記となります。

【1つ目】【2つ目】のまとめ

  • ”食べる”ことは、それだけで完結はしておらず、食べ物を別の形に変えて外に出している。
  • ”食べる”ことは、食べた主体だけが生きるためのものではない。
  • 生き物Aの”食べる”という行為によって生き物Xは食べ物xへ変わる
  • 生き物Bは食べ物xを食べて生き続けることができている。
  • よって、”食べる”ことは地球上の生き物の命を循環させるプロセスの一つであるといえる

 文字だけだとわかりにくいと思うので、下記に簡単な図で示します。食物連鎖のお話ですね。

 以上を踏まえて、”食べる”ことについて【文章Ⅱ】で書かれていることをまとめると次のようになります。
すでに何度も文中に出てきているとおり”循環”がキーワードですが、【文章Ⅰ】と形を合わせるため別の表現でまとめます。

【文章Ⅱ】のまとめ

 食べること = 生き物の死骸が体を通過すること + 他の生き物を生かすこと

全体の内容を理解する

 ここまで【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】それぞれの内容の説明をしました。

 それだけでは全体の内容を理解したことにはなりません。

 理解するためには冒頭に触れた「なぜ、わざわざ【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】に分けているのか?」を考える必要があります。

 そこで改めて【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】で述べられている”食べる”ことについてまとめたものを比較しましょう。

【文章Ⅰ】のまとめ

食べること = 自分以外の生物の命を奪うこと + ”自分が”生きるためにすること

【文章Ⅱ】のまとめ

 食べること = 生き物の死骸が体を通過すること + 他の生き物を生かすこと

【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】は”食べる”ことに対しての捉え方がになっていますね。

 なぜ逆になっているのか、どのように逆になっているのかを理解するためには冒頭で触れた「フレームワーク」を意識してアプローチしていきます。

 まず、【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】とでは”食べる”ことを考える時の”視点”が逆になっています。

 具体的にいうと下記の通りです。

”食べる”ことに対する視点

〈【文章Ⅰ】の視点〉

 →”自分が”生き続けるための行為
 →主観的

〈【文章Ⅱ】の視点〉

 →地球上の生物の命を”循環”させるための行為
 →客観的

 【文章Ⅰ】では、”食べる”ことによって生きるのは食べた主体のみで、それ以外の生物のことは視野には入っていません。
 【文章Ⅱ】では、他の生物のことも視野に入っています。

 それを図で簡単に表すと下記のようになります。
 ※【文章Ⅰ】の主人公は人間ではありませんが、人間のように描かれているため【文章Ⅱ】の視点の時は人間に置き換えています。

 つまり、”食べる”ということを考える時【文章Ⅰ】では視野が狭く、【文章Ⅱ】では視野が広いのです。

 これをフレームワークで考えると、視野が狭い=主観的、視野が広い=客観的と分けることができます。

 主観と客観は評論の世界で超頻発するフレームワークなので、ものすごく重要です。
主観・客観という表現が直接使われていなくても、意味としては同じの表現がいくつかあるので、代表例を下記に挙げます。

主観と客観

主観 ↔︎ 客観
視野が狭い ↔︎ 視野が広い
自分本位 ↔︎ 他人本位
近視眼的 ↔︎ 俯瞰的
絶対  ↔︎ 相対

 ただし、主観的な視点・視野が狭い=悪い/劣っている と捉えてしまいがちですがそれは誤りなので要注意です。

 良い/悪いの話ではなく、「その文章は主観的か客観的のどちらの視点から論じられているか」というだけのことです。

 なんとなく悪そうだから誤り、というバイアス(偏見)が掛かかると誤答につながるので気をつけましょう。

この文章の結論

 ここまで見てきた通り、文章全体としては【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】全体を通して”食べる”ということについて、狭い視野で考えた時と、広い視野で考えた時という大きく2つの塊で論じています。

 とはいえ狭い視野、広い視野どちらが正しい、支持するといったようなどちらか一方に偏った結論は出してはいません。

 「”食べる”という行為は狭い視野、広い視野の2つの側面から捉えることができる」と述べているだけです。

 でもそれだけだと「え、だから何?」で終わってしまいますよね。

 センターに限らず個々の大学の現代文の試験は、「解かせること」が目的なのに、読んで終わりにするわけがありません。

 その文章から”自分で”「結論」を導くことができる力を試されているのです。

 この文章全体の結論を逆の表現とセットで下記に示します。

個々の”生きる”意志が、他の生物が生きることにつながる。

個々が生きる意志を無くすと、地球上の生命の循環は止まる。

 さらにシンプルに表現すると

あなたが生きることで、他者が生きられる

あなたが生きなければ、他者が生きられない

題名・テーマ・フレームワーク

 普段何気なく行っている”食べる”という行為について、「他者の命を奪う」や「生命を循環させる」など壮大な内容に広がって論じられていましたが、比較的読みやすい文章だった印象です。

 最後に、解説に入る前に挙げた意識して欲しいこと3つを挙げて、終わりになります。

 ただ、これに関しては正解はないので参考程度で構いません。あまりにも乖離していない限り自分自身が腹落ちしていれば問題ありません。

 大切なのは自分の言葉でまとめることです。

題名

 ”食べること”について2つの視点からの考察

テーマ

 ”食べること”と生命の循環

使われているフレームワーク

 主観と客観

最後に

 長かったですがこれで解説は以上となります。

 現代文は勉強法が確立しずらいため、いくらやっても成果が出にくい厄介な科目です。

 「現代文はセンスの問題」で片付けて諦めてしまっている人も多いのではないでしょうか。
私自身はそうでした。笑

 でも設問の解説を読むことではなく、文章を読み、理解することに力を入れるようになってからは、時間は少しかかりましたが筆者の言いたいことや、自分には到底思い付かない考えに触れることに楽しさを感じることができるようになりました。

 それからは問題を解くことよりも「今回はどんな文章かな〜!」と頭のいい人たちの考えに触れられることにワクワクするようになり、結果的に現代文が私の得点源の一つになりました。

 やはり楽しむのが一番だと思います。

 この解説が、現代文を楽しめるようになるきっかけになったら嬉しいです。もし時間があれば、さらに過去の問題も解説しようと思います。

 どこかのタイミングで、「文章を読む力」をつける方法を紹介する予定です。方法自体は超シンプルですがかなり辛いです。
 でも文章を読む力をつけると、英語の成績も上がりますし、なんといっても”本を読めるようになる”ので、日常生活で本を読む楽しさも味わうことができるようになります。ぜひそれを共有したいと思います。

最後に、受験生の皆さんはどうかお体に気をつけて最後まで頑張ってください!

悔いのないよう、満足のいく結果を勝ち取れるよう応援しています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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